紅葉②
 公園全体が萌えるような赤や黄色で埋め尽くされていた。(小宮公園)

「あなたの職業は?と訊かれたらアニメーターです、と今でも答えるよ」                     宮崎駿氏の言葉より〜

 最近、ふと考えた。「どうしてブログを書いているのかな?」なんて、今さらながら思ったりしている。普通ならある意味、日記風に書いて備忘録にするのだろうが、わたしは全く逆で、忘れてしまってもいいように、あるいは忘れるために書いている、とでも言えよう。この頃特にそう思う。

紅葉③
 敷き詰められた絨毯のような枯れ葉が情緒を誘う。

 実際に書き上げたあと、投稿日まで何度も見直すが、アップされてからは見直しをほとんどしない。たまに月に1回くらい、ランダムに選んで読んでいるぐらいである。過去を振り返るのか?未来に興味があるのか?こう訊かれれば、もちろん、未来に決まっている。
 いつ、何処で、何が起こるかわからない未来を思う方がずっと生きがいを感じる。言ってみれば、過去にこだわって生きるのか未来思考で生きるのか、この選択で人生は全然違うものになってしまう。

 経験したことのない事柄や行ったことのない所に行く等、これからもずっとそういう思考で、未来に期待しながら生きていきたい、と思うのだ。
出し惜しまずに、出しきることでのみ、次のアイデアが出てくるのはホントだから、経験値が高ければ高いほど、クリエイティブな発想と人生は生まれてくるものだ。それを潔く惜しまずに出すだけだ。

紅葉④
 木々のグラデュエーションが美しい。

 以前、上海の浦東空港を利用した時、中国語のうっとりするようなアナウンスに、旅の疲れを大いに癒やされたという経験をしたことがある。優しく、ふんわりと柔らかいイメージの言葉だった。わたしの知る中国人の激しいやりとりからは、かけ離れた雰囲気だった。この意外性が、未来に繋がる発想になり、こういう経験値が未来の期待感を膨らませてくれるものになるのではないだろうか?
 だから、ブログには、良いことも悪いことも、同じ目線で書くようにしている。今、起こっていること、チョット前にあったことや昔の話など。
 全部は到底表しきれないけれど、自分のなかで折り合いがついたものだけを書く。まだ、矛盾がある場合や文章に落ち切らない、要するに表現できないことやもう必要性が消えたものは必然的に省かれていく。
 でも自然体で書いてみると、心底自分の気持ちに寄り添えるものなんだな〜と、この頃つくづく感じる。
割り切れない事や面白くない気分でも文章にしてみると、殊の外考えもしなかった事柄が出てくる。これが実に面白い!自分の頭の中のわずかな事でも、急に客観的に具体化して見えてきて興味がつきない。

      椿②
     椿①
       公園の椿の蕾が開き始めた。

これからもこうして徒然にブログやエッセイを書き綴って歳をとっていくんだろうな。あれだけこだわっていた小説家や、〇〇家みたいな偉そうな格好には、もう興味が薄らいできてる。もっと自由に書いていくためには?と考えを巡らせている。

もし、この先、あなたの職業は?と訊かれたら、
”ライターです”
と答えていることだろう。