ある時、老齢の外国文学研究者が、誰にでも「一世一代の旅」というのがあるものらしいと、語っていたことがありました。~中略~私がその「一世一代の旅」を翻訳すれば「取返しのつかない旅」ということになるような気がします。それは、もうそのような旅は二度とできないということを意味します。 「旅する力」沢木耕太郎・著(新潮社)より
前回のブログで、仕事がパンパンな時ほど、バカンスや旅の本を読んでしまう・・・という事を書いた。それは、8月の声を聞いた今週、私の中ではすでに現実になっている。最近、わたしの旅をする力の根源となっている書籍、沢木耕太郎氏の「深夜特急」1巻を読み返しているといころだからだ。作者がなぜ、ユーラシア大陸横断の旅を思いついたのか?その原点をもう一回抑えておきたい!と読み返している。
旅とは何か?その問いに対する答えは多分無数にあるだろう。今、わたしの考えている旅の定義、それはまず「途上にあること」という状態にあると言える。だから旅とは、紆余曲折の人生に似ているとも感じる。
大好きな映画にトーマン・カポーティ作の「ティファニーで朝食を」があるが、主人公ホリーの名刺には「トラヴェリング(旅行中)」という文字と名前だけが刷り込まれている。彼女にとっては、南米の海岸やアフリカのジャングルだけでなく、マンハッタンに住んでいる時でさえ、トラヴェリング(旅行中)であることに変わりない。まさにホリーは「途上にある者」なのである。しかし、旅は同時に終わりがあるものでもある。始まりがあり終わりがある。そこに今回のタイトルの「旅を作る」と言う思案の入れ込む余地があると言えないだろうか。
人は旅をする。だが、その旅はどこかに在るものではない。旅は旅をする人が作るものだ。最近では仮に、グッと減ってきたツアーなどの団体旅行であっても、旅はどこかその人によって作られているという空気が漂うものだ。
わたしの考える旅の醍醐味は、ガイドも読み込みその土地の物も食べ絶景などを堪能しつつも、ふっと入った画廊で、信じられない作品を見つける!とかいう ”おまけ=サプライズ” がついてくる旅が理想だ。
例えば、イタリアでサッカーを見て、世界遺産を堪能し、小さなトラットリアでパルメザンたっぷりのパスタや焼き立てのピザを食べるが、時間が余ったので、ふと思い立って隣街まで電車で行ってみる。夕方何気ない宮殿で、レオナルド・ダヴィンチの小さなスケッチを見つけ秘かに驚愕する・・・。とこんなのが最高!
普通 旅というと、行きたい場所や時間を決め、綿密に旅程を組むことから始まる。しかし事前に、興味があることや知りたかったこと、出会いたい人や物などを自分なかで純粋培養しておき、いざ!というタイミングの旅先で、その溜め込んだ英知を引き出せれば、きっと「おまけ=ちょっとした驚き」がついてくること請け合いだ。最高の旅になる確率大だと思う。
さぁ、持ち物を最小限にしながら無限のおまけを手に入れる旅の準備を始めてみよう!
ヒントは、映画、本、食べ物、芸術、建物など、ちょっと掘り下げて興味の幅を広げておくことで、意外なおまけが見つかるかも!
まだあまり知られていない、レアな自分だけのおまけを見つける欲張りな旅、それが私流の夏旅だ。