LifeTour21st

自分の生活をアレンジする旅に出よう!

コミュニティと思い出

ポインセチアの花言葉。

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           品川プリンスホテルの大ステンドグラスとクリスマスツリー。

 蒸し暑いマレーシアの屋台での冷えたタイガービールや、オリエント急行でのシャンパン。スペイン巡礼旅でのワイン。旅の途中で飲んだ忘れられない1杯。
                                        「みんなの旅ごはん日記」より 異国の忘れられない一皿(翔泳社発行)

 仏教徒の多い日本でもクリスマスシーズンになると、街はクリスマスカラーで埋め尽くされる。その中でもあの葉っぱだけのポインセチアが一番クリスマスらしい植物なんだろうなと感じる。昨今ではハロウィンが終わったとたん、花屋の店頭にはポインセチアが並び始める。

 ポインセチアはマダガスカルの国花だと最近知った。中南米じゃない。やっぱりあの緑と赤と土の色がクリスマスシーズンをそれらしく彩るという事で、いち早く西洋文化に取り入れられたんだそう。

 花言葉は「聖なる願い」とか「私の心は燃えている」とか・・・。 まあ、花言葉って勝手に決めることが出来るらしいのよ。わたしも自分らしいポインセチアの花言葉を考えてみた。「若き日の遠き情熱を忘れない」と。

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 この花言葉は毎年、わたしが冬至の日に出すクリスマスカードに託している。音大の親友が厳しい病気に見舞われた時、同級生たち皆で、動けなくても、遠く離れていても、皆を思い出して元気になって!とクリスマスカードを贈った事があった。
 
 それからもう30年、毎年クリスマスカードを贈る習慣がついている。12月に入ると文房具コーナーのクリスマスカードを眺めては、今年はどんなのにしようかな?っと。大切な高校や音大時代の親友に愛情たっぷりに贈る。それはそれはもう、ありったけの気持ちを注げるだけ注いでね。(笑)

 こういうのは、双方向じゃなくってあげたい人に贈って、新しい年を迎えるまでのささやかな癒しというか友情のつなぎだと思っていて、返してくれなくても全然いい。この年になると、だいたい病気の発症が多く、早く元気になって!と励ますのにもこのカードは雄弁で一番いいと思うのだ。

 わたしも大病をしてたくさんのカードを頂き、おおいに励ましてもらった記憶がある。それはそれは、とても嬉しいものだった。というわけで、毎年12月21日の朝に投函するカードは、激務を縫って買い求め、隙間時間で心を込めて書く。そういう瞬間こそが本当のささやかな楽しみになっているのだ。今年は冬至の切手を貼って出したよ。柚子とカボチャのね。

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 我が家では、クリスマスに家族どうしプレゼントを買わなくなって随分経ってしまった。夫婦も長い付き合いになり子どもも大人になると、クリスマスの持つ意味合いも結構変わってしまうもんなんだな。

 相も変わらずだが、今年のメニューは鶏のレモン唐揚げと🍅のペンネアラビアータ、ケーキは買わずにティラミスアイスと高級シャンパン(グーグ・クリコロゼ)。これらをイブの夕方から少しずつちびちびとやり始めて、やおら夫婦で会話を楽しみながら過ごす予定。

 昨日、23日に今年のプレ第九演奏会に出かけ今年のけじめもつけたので、今日はゆっくりと安息の一日。かって我が家でも、やっぱりメインは子どもだった。子どもたちの付き合いがひと段落したら、家でもとその週は何回もクリスマスをやっていたもので、サプライズをとプレゼントに頭を悩ませた懐かしい思い出もいっぱい!

 昔、音大時代にクリスチャンのご家族を持つ彼氏がいた時期があり、私の事を気にかけてくれた彼の両親が24日に自分たちは教会に行くからと、私たちにプレゼントのつもりだろうかオペラの演奏会のチケットとクリスマスケーキを用意してくれていた事があった。おまけにわたしには、真っ白なふわふわのセーターのプレゼントも。いわば娘同然だと思っていたらしく、クリスマスを心温まって過ごせた思い出がある。

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ともかく今回の24・25日は、特に厳かにクリスマスを楽しめる2日間にしてみたい。そして今年の仕事納めもちょうど25日。明日は仕事納めの1杯をおもいっきり楽しもう!

 やっぱりクリスマスとはいっても、ほんと飲むことばっかり(大笑)

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旅をするということ。

   
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          朝、  我が家からすぐのバイパスから撮った富士山。(12月11日撮影)

どんなに洗練された大人の中にも、外にでたくてしょうがない子供がいる。
                                                                                       ウォルト・ディズニーの名言

 昔から実家は大好きだったけど、いつかは出なくてはいけないんだろうな?と20歳の成人式の日にふっと考えたことを思い出した。それでは、一体どういう事で家から出たのか・・・仕事で?留学とか? いえいえ、わたしの場合は降って湧いた結婚話しだった。


今にして思えば、夫と知り合う前も同級生の彼氏がいて、まだ20歳、ただただ遊ぶのが楽しい年代だったから、結婚なんてこれっぽっちも考えた事などなかった。しかし、7つ年上の夫と21歳で知り合い、運命の歯車は急速で、そのちょっと大人びた夫との生活をすべく、結婚というレールにどんどん乗せられていった。周りのほうがわたしよりも断然しゃきしゃきと関わって、それこそ、あっという間に結納を上げ、婚約期間に入ったのである。

 今でも思うが、結婚ほど考えてしまってはいけないものじゃないか?勢いがすべてなんじゃないか?と。そのある種周りを巻き込む勢いのある時は、その勢いという風や波に上手に乗ることが最高に大事かも。マリッジ・ブルーとかはなかったね。だって、何にも考えていなかったし、7歳年上の彼に全て任せておけばいいんじゃない?とあっけらかんとしていたっけ。

 そこでだが、お式の準備もさることながら新婚旅行の話が出てきた時、「やった!これでやっと海外に行ける予定ができた!」とおもむろにほくそ笑んでいるわたしがいた。音楽大学在学中は教育実習かローマ姉妹校への短期留学のどちらか選べる日程が組まれていたが、当時は、卒業したらすぐ中学の教員になりたかったので、迷わず母校の実習に登録したのである。

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     仕事帰りに撮った浅川の夕陽。本当に遠く富士山が見える。(12月11日撮影)

  そういう経緯で留学の道も無くなり、周りもみな忙しくなってしまい、女子海外旅もすることが困難となり、結局国外には出られず仕舞い。それでも卒業から数年で海外に出られるチャンスが巡ってきた!しかも結婚という大海原に二人で漕ぎ出すスタートの旅だ。これでなんとか、夢だった海外へ行くことに加え、結婚という人生の新たなスタートをほぼ同時に手に入れられたのだった。

 行き先は、ロスアンジェルス&サンフランシスコ8日間の旅。今でこそ、アメリカ西海岸の旅もずいぶん安いツアーが売り出されているが、当時は新婚旅行ともなれば、それ相応の旅が用意されており、様々な下準備が沢山必要だった。今ではまったく見なくなったし、その1回以外使った事もないトラベラーズ・チェックなるものや大型のトランク等、その他今では使わなくなった物が多数ある。
出先で決めた、メキシコへの入国では遠くまで来たな~という気分を高めるマリアッチの演奏など思い出もたくさん。

 大騒ぎで結婚式を終え、空港に向けて自分の車のハンドルを握った時に、「ああ、これでやっとわたしもあこがれだった大人の女になったのね~」と一人感傷に浸った事を今でも良く覚えている。自分も家庭を持って生きて行けるんだとか、そのような事が世間に実証できた安堵感で、その夜はドッと疲れが出て、初日宿泊予定の成田空港近くのホテルで爆睡してしまった・・・(笑)。


 旅って、どこから始まるんだろう。多分、行きたい!と思った時からが旅のはじまりなんだと今では感じている。翌朝、ホテルの部屋で真新しいTシャツを着た22歳の新妻のわたしは、もう昨日までの私ではない!ぐらいの勢いを蓄えて、いざ二人でロスアンジェルスへと旅立った。

 ロスの空港に到着した時、出迎えの日系人ヤマグチ氏が「マダム、お疲れでしょう?」と声をかけてくれた。その時からわたしの妻としての旅がスタートした。

 人生は旅そのもの。
妻&母という旅は最高の喜びと最大の困難を持つものだが、それを乗り越えていつまでも続けて行きたい旅だと思う。この旅をもう33年も続けて来た自分に、そっと「サンキュー!」と小さく言ってあげたのよ(笑)

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母の日に寄せて・・・。

    母のカーネーション②
母の日になぜ、赤いカーネーションを贈るのか?』
 20世紀初頭のアメリカ、アンナ・ジャービスという女性が、亡くなった母が大好きだった赤いカーネーションを胸につけて教会へ行ったのが由来とされています。アンナの母親への感謝の気持ちを忘れず、思い出す日になるように・・・と。      「Story of Anna Jarvis 」より

 母が亡くなって1年が過ぎた。やっと、今年は母の日について語れる。昨年は、それはもう、しょっちゅう思い出しては、涙を流す日々だった。まだ79歳、本人も家へ帰れると思っていた最後の入院。

 本人には、余命の話はしなかったが、亡くなる前の1週間に様々な人が見舞ってくれたことで、本人も覚悟したようだった。最後は、病院から連絡を受けてすぐに駆けつけたが、部屋に入って2分後に心臓が止まった。「ああ、よかった。間に合った・・・」「「本当にお疲れ様でした」と、頭を下げ・・・自分一人、静かに看取れた。後は、嵐のような忙しさのなかでの葬儀や家の始末等々、あっという間のことだった。

      母のカーネーション

私の父は48歳という若さで亡くなっているので、母は約30年の間一人の人生だったが、普段から割と多い友人たちに支えられて、最後まで一人暮らしを楽しんだ。庭には大好きなバラをたくさん植えて上手に育てていた。今年は母を偲んで、白モッコウバラを植えてみた。開花が楽しみだ。

 割とおしゃれ好きで、最後の入院になる前まで、キレイにネイルを塗っていたのだった。わたしとは全然違う!(笑) 「ネイルを塗らないのは、裸でいるみたいで恥ずかしいのよ!」と、よく言っていた。わたしは「へえ~」っと。そういう風に考えてみたこともない。母は女子力が高いタイプよね。

           メロンソーダ①

 1年が過ぎて、もう母の日を祝ってもいいかな?と思えるようになったのだ。祝うというよりは感謝の気持ちを胸に抱きながら、母の好きだった食べ物を頂いたりしようかなと考えた。ちなみに大好物だったのは、「クリームソーダ」。亡くなる2日前にも、私が買って行ったメロンソーダを美味しそうに飲んでいたっけ。

 こうして、母のいない母の日も涙はなく、楽しんで思い出話をして行きたいな~と・・・寂しさばっかりじゃね。母の日って、後継が祝って感謝する、子ども達の行事だということを改めて思い知らされた。

 そういえば、私自身も母だ。でも何かを催促するような母はほとんどいないはず。だって、子どもの元気な姿があれば、それだけで十分満足なのが母なのだから。

   母娘

 「お母さんは何もいらないよ」「でもね・・・」と。でも、そのうち何かでっかいものをお願いしてみようかな?な~んてね。(笑)

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2016年を締める。

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    年末に読む本。女性物ばっかり。

 俺は「仕事しかない人生だった…」そんなふうに思って死ぬのはごめんですね。それもある。それも多分あって、確かにその通り。でも、あたしは「仕事したな」って思って死にたい。
                                 「働きマン。女の働きマン」 安野もよこ 著(講談社)より

2016年もあと2日で終わる。これまでに振り返りは何度も取りあげたので、ここでは視点を変えて現在の出版業界とその展望について、ささやかながら筆にまかせて語っておきたいと思う。

 私ももう出版業界に入って、来年で10年目だ。早かったなあ~。40代半ばの就活がものすごく新鮮で、最初の上司が33歳の長身イケメン男性だったこともあり同行営業が楽しみだった。

 初めての法人営業で、多数の取引先など相手は皆プロだ。出版の再販制度や流通の様々な経路を学習し、膨大な商品知識と編集担当からもらう情報や作家のエピソードなどを懐に入れて外回りをする毎日。息つく暇もないほどの9年、熱が籠った幸せな時間だった。10年目から改めて振り出しに戻り、会社員としての新しい1年を迎える気持ちで脇を引き締めていこうと思っている。時間はまだまだ、捻り出せるはず。

        出版社風景
          出版社の編集会議風景

今年はまた、新たな自己改革の一環として、プロのライターとしての第1歩を踏み出した年だった。この10か月の間に書いたエッセイや記事・ブックレビューは総数204本。ほぼ週5本の執筆になる。
ほんとに書くことが楽しくて、熱狂して取り組んでいる。苦しくも楽しい、そんな時間を大事にしていくつもり。

 1本の文字数はだいたい3000~4000文字。この量の文章を毎日書き続けてきて、もうペンが筋肉の一部になってきたな、と思えるぐらいだ。ピアノと同じ論理で、体が覚えたことは簡単に崩れないし忘れない。

 今は、何があっても書き続けていける体力がついてきたことを、なにより嬉しく思う。あくまでも原稿料を貰って書くので、締め切りや資料の正誤性やら様々面倒なことばかりだが、書き終えた時の達成感とそのあとの一本の缶ビールの美味しさは、何にも譬えられないほどだ。(笑)

        出版危機
         出版危機が叫ばれて久しい。

 さらに、今年5月には始めての著作も出すことができた。有り難いことに発刊7か月が過ぎたが、依然、アマゾンや楽天のアーケードには出展されている。原稿料も頂いて、装丁のデザインなども無料でやってもらったのだから有り難い限りだ。

 わたしにとっての著作は、このブログと同じ立ち位置で、あくまでも、ライター(文筆家)としてのツールに過ぎない。そのために、電子書籍に傾倒して出版させて頂いたことで、無駄な在庫も持たなくて済み気軽だ。

 店頭に並ぶ書籍の在庫管理たるや、それはもう出版社にとっては熾烈な争いだ。棚に入るだけでもすごいことだが、平積みやフェアを打つなどした場合は大変な経費が動くのだから。出版不況といっても、頑張ってそれぞれが活路を見出しているんだな~と現場ではつくづく感じているところだ。
        
        本棚

 それでも書き続けるためには、遊びでは続けられないので、私の場合、このブログを仕事のプロフィール代りに使うこともあり、著作はビジネス関連記事での参考資料に添付したりしている。とにかく自己満足が通用しない場所では、アピールできる強みをどんどん使わなければならない。働く環境や権限は自分で開拓し勝ち取るものだと今更ながらに感じている。

 だけどね、仕事に命を懸けるなんてことはしていない。もっと命を懸けるべきことは家族の健康や、大切な友人たちを思いやることだから、この辺は命がけでやっていると自負している。まあ今では、子どもや親のことを年中考えなくても良くなっているから、必然的に仕事に軸足が移っていっただけ。

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 2017年の希望は「アライアンスを組んでいく」~こんな風に考えている。自分の助けになる助言、叱咤激励や時には、慰め、癒しなど、私と関わって下さる方々には、ぜひにも頼みたいと思っている。アライアンス=助け合いとまでいかなくても、連携して動いて行きたいし、自分も甘えることもあるかと思う。自然体で血の通ったブログを書いて行けたらと心底感じるのだ。

 徒然に書き綴ってしまったが、こんなところで2016年の締めになったかなあ? 
何はともあれ、また来年もどうぞよろしく、お願いいたします!!!
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★2023年12月20日更新 クリスマス・ストーリー今、始まる。

NYCツリー
 💛ニューヨークの巨大ツリー💛
 ホテルの部屋は奇妙な空間である。住まいではないのに鍵を受け取って中に入った瞬間から、その人の人生の一部となり、時間・感情がそこに揺れ動く。上質なホテルと出会うことは上質な人生の時間を得ることにつながるのかもしれない。
                                                      作家の愛したホテル 伊集院 静・著(日経BP出版センター)より

 わたしはカトリックでもないし、キリスト教に特別な思い入れがあるわけでもないから、毎年、聖夜もしくはクリスマスの日に特別な何かをしてきたことはほとんどなかった。ただ、私の音大時代の友人がカトリックのため、クリスマスカードが毎年届く。別段何もしないのは、私生活において無縁だからで、雰囲気だけの行事に過ぎない、ということを育った環境も影響してか、子どもの頃から感じていたからだろう。両親もケーキとプレゼントは用意していてくれたが、今のように派手な事は何も無かった。

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                ここは、大切な友だちが愛する老舗喫茶店(国立市)

 でもお祭り気分で雰囲気を楽しむことは悪くない。むしろ楽しみなものだ。1か月も前から街でもクリスマスの装いに変わるし、意義づけなくてもチキンは美味しいし、ケーキを選ぶのも苦しいくらい楽しいことだ。それこそ、20代~30代ぐらいは、毎年友達と、同僚と、家族と、3回ぐらいはクリスマスパーティーしていたなあ。それが当たり前だった。プレゼント交換したり、美味しい物を食べるためにレストランを予約したりと、人並みにバブルチックな時代を楽しんだものだ。

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 さて、今年のクリスマスウイークは主人の入院と3回目の心臓手術がある。主治医は、家でクリスマスできるように成功させます!と言っていた。今週の私たちは、さしずめクリスマス気分ではなく大事な闘いの時なのだ、と気持ちも引き締まる思いがある。経過が良く退院できたら映画演奏会に行くように手配してある。強く楽しい気持ちを盛り上げておくことも大切なもの。


 それとは別件で、私たちにとってはとても大切な友達の安否が気がかりだ。先月、主人の2回目の手術があることをこのブログで知り、「手術は無事に終わった?」とメッセージを海外からくれたのだが、それ以降、音信が途絶えてしまった。海外在住の友人は、出先で事故に遭い、瀕死の重症を負い、家族のサポートで日本に帰国していた。このことを知ったのが今月に入ってからだった。まだ面会できる状態ではないようで、手術の機会を待っている様子。今年中には何か良い進展があることを願っているのだが。とても心配だ。

 クリスマスにはどんなせめぎ合いも、できれば一旦休戦にしたいもの。でも病気や怪我については待ったなし。とにかく、それぞれの病状が回復し復帰できることを祈るしかない。

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  わたし達の中には善と悪が棲み、心中にどちらとも言えぬものを多く抱えて生きている。あれが正しくて、これが正しくない、などとは誰も言い切れないものだ。年々、モノサシ(価値基準)に惑わされなくなっているな、とショッピングモールのクリスマスツリーを見ながらふっと思った。
 大切な人の幸せや健康を、願って想い祈ることが正統なクリスマスを過ごす意義かもしれない。

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きのこ料理とブティックワイン。

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 カルフォルニアワインの旅、産地マップ。

きのこ類の軽いクリームスープ エリタージュ風
 マッシュルームとセーブをバターで炒め、ゆっくりと煮だして濾したものに、生クリームを加えて火にかけ塩で味つけをし、再び濾してスープを作る。さらに別に炒めておいたジロル、しめじ、トリュフなどのきのこ類をパイで包み、オーブンで焼いた物を加える。パイ皮を割るとプーンときのこの香りが口いっぱいに広がる。
  料理小説「はじめての夜 二度目の夜 最後の夜」 村上龍・著(集英社)

 10月12日、以前から申し込んでおいたイベント、「カリフォルニアワイン グランド テイスティング」に出席した。カリフォルニアワイン協会の会員になってはじめてのバイヤーズデーの参加で、なんかもう楽しみで仕方がなかった。

 朝からしっかりと仕事をしたあと、午後4時には渋谷のセルリアンタワー東急ホテルに着いた。午後5時からのテイスティングのため、しばし体を休めようと早めに到着したのだ。仕事
半分という事でもあったが、今年2回めのハイヒールを履いて気合もたっぷり・・・(笑)

 今回の出展社は57社、600品が試飲できる!でも少し味見をしたらボウルに捨てる。そのうち日本の会社は10社に満たない。ほとんどがアメリカ西海岸からの出展だ。

 私のお目当ては
単一で一切混ぜ物のないもの~サンフランシスコ近郊のソノマ、ナパ、モントレーの3箇所のブティックワイナリーのバリウェタルワインの味をみることだ。別にソムリエールを目指すわけでもなく、ワインの品種に詳しいわけでもない。現在の自分の味覚に合った好きな味に出会えたらいい。ただそれだけ。

セルリアンタワー①セルリアンタワー③
 かって最先端のIT基地でもあった、セルリアンタワー内が今回の会場。

わたしは33年前、サンフランシスコで出会ったカリフォルニアワインの味や香りに感動し、未だ思い出すほどに気に入っている。イタリアやスペイン産もかなり好きだが、なんといっても全く悪酔いしない爽やかな酸味と、割とどんな食事にも合ってしまうことが
カリフォルニアワインの好きなところ。ワインを目的に、今一度、アメリカ西海岸の旅には行ってみたいし、まだまだ興味は尽きない。

 今回は、ブティックワイン(個人のワイナリーや個人商店)のものを中心に味わってみた。ブティックワインはほとんどが通販や個人輸入の代理店を通して販売している。価格も大体¥8000~10000台のものが大多数。普段では到底口にすることはない希少性の高いものも多く、約600名の参加者でごった返すなか、わたしはどんどんとナパのワインセレクトを試飲していった。

ワインテイスト会場ワインテイスト①
ワインテイスト③ワインテイスト②
 会場内はワインビジネスの可能性を求める人々で賑わっていた。

 ブティックワインはおもに、ナパバレーで作っている農家が多く、手始めに¥18,000のものからアプローチした。ソノマモントレーと何軒ものブティックワインを試飲するのだが、手元にはグラスとiPhoneとを持ち、写真を撮ったりチーズやパンのおつまみを食べながら、ワイナリーの生産農家の話をじっくり聞く。代理店の契約の仕方や、それぞれワインに合う料理の話など諸々仕入れたりと結構忙しい。


 何万円もする本場のワインをたくさん賞味でき、旅の話や仕事の話などもできるなんて、もうほんとに最高!会場の中では、英語のディスカッションがあちこちから漏れ聞こえてくる。英語で取引する人たちも多く、英語のリズミカルな会話が、ほんのりと酔った体に心地よく響く。

 だいたい30分間飲んだら、少々レストルームのソファで休み、また参戦する。これを3回やってから、最後に気に入ったブティックワインのテーブルへ行き、もう一回飲んで味の良さを共有して終わった。いつまでもだらだら飲んでいるのは野暮。1人参加なのでなおさらだ。早めにスッキリと退散した。
 ところで、今回試飲した中で気に入ったのはこれ!

・ナパバレーモカルトワインズのピーコック・ファミリー・ビンヤード
 (これは1本¥20,000!)
もう一種類、
・ナパ、オフイスUSのシャルドネ
 (唯一飲んだ白ワイン 1本¥8,000)


 この2種類の代理店と話込み、ワイナリーのご家族の話や代理店をもし起業するならなどのテーマで色々話が弾むなか、いつでもナパやシスコのオフイスに尋ねて来て下さいね!と名刺交換でき、充実した試飲会となった。

NapaWineDaviesWine
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 ナパヴァレー等のブティックワイン産地カタログ

帰りの電車では停電事故の影響もあり激込みだったが、気分が悪くはならなかったし次の朝も2日酔いなどは全くなかった。やはり、不純物の少ない高品質なワインは体に優しいものなのだろう。素晴らしく楽しい大人のいい時間を過ごせた。
 いつもの生活では、気に入ったワインに、きのこやりんごをバターで炒めて、しょう油を少々。これにパンとチーズがあればそれだけでわたしは幸せ。
・・・でも、当分は健康を考えて休肝日と行こうかな?(笑)

                        WineStyle

クラウド経由で"MIT"にいこう。

Massachusetts Institute of Technology (MIT)

mit
ブログは自分の人生を大きく変えてくれました。
 人との出会いのきっかけはすべてブログで作りました。自分で自分をプロデュースする場だと思います。好きなことで世に出たいと思ったら、まずは世の中に自分の存在をアピールすることが第一歩。そしてそれをやり続けてみること。
 種をまいて水をやり続けなければ芽は出ません。ブログやSNSといった、誰もがすぐに種をまける土壌を活用しない手は無いと思います。

                ミセス・シンデレラ 梅津有希子 著(幻冬舎)より

 夏はいつものことながら、しばし太る。随分前から気になってはいたのだが、ことに夏休み前にはすでに2〜3キロは増えている。もう若くないのだから、これはヤバイ!というしかない。多分、ビールや冷たい飲み物を摂る機会が増えるのも原因かもしれない。ただその後、秋風がヒュ〜っと吹き、空高く馬肥ゆる頃には、だいたいが納まっていて身体も元に戻るという寸法。


白熱教室
 双方向で意見を闘わせる醍醐味を味わいたい!

 年々歳を取り代謝が悪くなっているのだから、せいぜい頑張って腸内環境の整備に努めようかと思いながらも、今は体よりも頭が先と、8月のお盆休み1週間の過ごし方を練りあげている。やはり、普段できなくて手の着かない部分への取り組みが再優先事項。
ちょっと書き出してみよう。

国内無料のオンライン学習用録画をまとめて観る.。
 (WEB-campusのschoo等)
海外ビジネススクール系大学のオープンコースウエアを活用する。(クラウド経由でも修了証あり)
TEDのプレゼンテーション動画を抜粋して、まとめて観る。
 (できればLive受講も)


 と、だいたいこの3本ぐらいを対象にインプット週間を取りたい。外は猛暑だろうし、いつもなら毎日外回りの営業と記事とエッセイ執筆で過ごす日々も一旦中断する一時、詰め込むには絶好の機会!

 特に楽しみにしているのは、MIT(マサチューセッツ工科大学)。工科系ながらリベラルアーツに強く、無料プログラムの数はそれこそ膨大、ただとは思えないほどだ。聴講したいのは、自然科学や社会科学、哲学・文学などを基本とした白熱教室ばりの双方向講義。ある意味、ビジネスを離れて、そのバックボーンとなる教養を身に付けたいのだ。ちなみに大学城下町八王子でも、様々な大学内スクーリングセミナーが目白押しで、無料講義も多い。

 今や、多額の費用をあまり掛けなくても、日本にいながらにして高度な学習メソッドが手に入る時代なのである。もちろん、正式な有料セミナーなども視野には入れているが。

夏空
 入道雲のようにムクムクと進化しよう。

 なぜ、大人になった今でも学び続けたいのか?それは、人が豊かに幸せに生きるためには一生涯学び続けるべきだと思うからだ。むかし、音大を卒業した時、わたしの母は「もうこれからはレッスンを受けなくてもいいんでしょ?」と聞いてきたので、「ウゥ~ン、次の段階に向けて、新しい先生のレッスンを受けたいわ」というと、「せっかく教える立場になったのに、まだ習わなきゃならないなんて・・・」 と驚き、理解出来ない顔をしていたことを思い出した。

              鍛えの夏
                   日頃から鍛えておかないと、とっさには力は出ない。

 我流の言葉だが「学びをやめた時から人は老いていく」と信じているし、自分の回りも世界も日々、刻々と進化して留まるところを知らない。古い情報にとらわれず、以前の成功体験にも頼らないためには、常に新しい学びを取り入れ、新しい細胞=イノベーションを生み出さなければならない。いわゆる自分の頭脳の新陳代謝である。

 もうひとつある。「学びによって、進化していると実感でき心の底からワクワクできる!」・・・わからなかったことや知らなかったことがわかるようになり、自らの血肉となり
心が整う。そしてさらにその成果をこのブログに散りばめられる。こんなすてきなことは無いな、とつくづく思うのだ。

 だからさらに、学びを続けたいと思う。この鍛えの夏を超えたら、どんな景色が待っているのか。今から楽しみだ。

               いよいよ夏

宿命のジュエリー。

ジュエリー①
  実母と義母、2人から譲りうけたパール。大切にしている物。

 ガラスやビーズのアクセサリーもかわいいので大好き。また、本物の良質な宝石を持つ嬉しさも格別です。宝石がほしいけど、高いし・・・とか、よくわからないからニセ物や粗悪品を買ってしまうかもしれない・・・と。今まで宝石に興味を持ちつつも買えなかったお嬢さん方、ぜひ、お母さんや彼氏を誘ってお店に行ってみて下さいね。
                                           ももこタイムス 著・さくらももこ(集英社)より

女性なら誰でもジュエリーにあこがれ、それこそ誕生日や記念日には、どこどこの何・・・という感じて少しずつ手に入れてきているのではないだろうか。
 今回は
初めて、ブログに ジュエリー を取り上てみた。私の数少ないジュエリーの思い出を残しておこうと考えたのだ。大人になったらパールのピアスがしたいと、ず〜っと子供の頃から憧れていた。でもなぜだかすぐに忘れてしまい、思い出した時にはすでに「どうでもいいや〜」っとなっていて、この歳になるまで実現していない。
 数年前のあるテレビ番組での事、90歳のおばあちゃんにインタビューをしていた場面で、「おばあちゃん、今欲しいものは何?」という質問に、ななんと!このおばあちゃん「ダイヤのピアスがほしい」と。すんごい田舎の畑でのインタビューで聞く話に、回りもびっくり。多分この後、おばあちゃんはダイヤのピアスを手に入れたんではないか?--おばあちゃんは、「いくつになっても夢はあるの」とも語って、「じいさんには内緒!」なんてささやいていた。つくづく可愛い人だなと・・・。

路傍の花
  近くの公園では、花々が宝石のように輝いていた。

今回タイトルにしてみたのは、女性には「宿命のジュエリー」があると常々思っていたから。私の場合は「パール」だと思っている。私が音大に無事入学した時のこと。必要なものがもう色々あって、ブラックドレス、白レースのブラウス、カラードレス、ヒールの靴にレッスン用のワンピース、演奏会用のバッグなど、入学してすぐの5月連休中に買い込んだ思い出がある。
 実は買い物はあまり好きじゃない。
せっかく時間を取って買い物に出かけても、しっくり来ず後悔するのが嫌で何も買わないことが多いからだ。服やアクセサリーなどは特に迷うことが多く時間がかかるため、今でも必要なもの以外あまり買わない。それでも気分転換にと、ごくたまに友人ジュエリークラフト空想堂さん)に作ってもらい、楽しんでいる。

ジュエリー②
  普段よく使っている1粒パール。

話を戻すが、その音大入学時に、「たくさん買い物しておいたので当分大丈夫!」っと通学し始めたのだが、最初のオペラのレッスンで先生から、「レッスンの時はヒールのある靴と、胸元には必ずジュエリーをつけてきて!」っと言われ、私はしまった!アクセサリーは買わなかったと。あんなに気を付けて買い物を頑張ったのにだ。先生からの指示は、「あなたはパールのネックレスが似合うわよ。1粒でいいの。本物をね。」との事だった。
 次のレッスンまでの1週間、父に頼んで銀座のミキモトで1粒パールのネックレスと、当時流行っていた花がらのサーファーブラウスを買ってもらい、2回目のレッスンに臨んだ。もちろん練習もしっかりとしていったのだが、ヒールのくつに少しだけ派手なブラウスと、パールのネックレスを見た先生はそれはそれは喜んでくれて、私も自信を持ってレッスンの場に
めるようになった。始めは「まったく無理を言うよな〜」と思ったが、 ” なりたい自分になる ” ためにはまず外見から修行が必要なんだ!と分からせてもらった。あれから30年以上経った今でも、依然として私を助け、自信を与える宿命のジュエリーは「パール」なのである。

みずき通り
  近所の通りには、ハナミズキの並木が清楚に連なり、ネックレスを思わせる。

ある程度の歳を重ねてきた女性の素敵さは、生きてきたキャリアの積み重ねが、ネックレスのように重なっているものだと思う。
もはや、その人そのものになっているから素敵なんだと。
そういう風になりたいものである。

    オーダーしたブレスレットと帯どめ
ジュエリー③


夜桜と勝間和代さんの思い出。

八重洲風景①
 八重洲口の新装で、
東京駅の大ルーフは桜色に映えていた。

<秋元康さんに聞く「実力2の運98」とは?>
作詞家の秋元康さんの言葉です。
〜本文中略〜 そんな秋元さんから意外なことを伺いました。ものごとがうまくいくかいかないかは、「実力2の運98で決まる」というのです。しかも、実力2については、分解すると、生まれが1で育ちが1,あと98は運だと。しかしこれを鵜呑みにして、努力をしないでいいと思い込むのは大変危険です。
 秋元さんが、何か夢を叶えたいと思ったときには、自分のビジネスプランをストーリーにしたり、絵に描いたりして、とにかくいろんな人に語って歩くのだそうです。そうすると、そのアイディアに賛同する誰かが手を挙げて、お金を貸してくれたり、いっしょにやらないかっと言ってくれる。そうやってここまで来たというのです。

      人生を10倍自由にするインターディペントな生き方実践ガイド
                              (「自立」から「相互依存」へ)
           
     ディスカヴァー・トゥエンティワン出版 勝間和代・著

 4月21日、6月出版予定の著作原稿を出稿した。文字にして17000字あまり、原稿用紙で43枚になる。4月1日〜17日であらあら書き上げ、18〜20日自分での推敲を終えて(ここが大事で大変)、やっと稿にこぎつけた。これからは手直しの嵐となるだろう・・・。ま、それも覚悟の上。初めての経験で思い違いや初歩的なミスが少なからずありそうだから。本当にいい勉強になっている。
 3月から週5〜6本の記事(1本1600〜2000文字程度)を書き続けている。それと平行しての、この書きおろし作業は全く根を詰めての激務だった。それでも楽しくて楽しくて、しかし体がついていけない!ぐらい今は深く疲労している。営業の仕事に出ることがいい気分転換になっていた。体は一見、強くなったように感じるので、なおさら気をつけないとと思う。

ビルに桜
  今年も、ビル街の谷間に咲く夜桜が、綺麗に咲き誇っていた。

 さて、タイトルの勝間和代さんの思い出とは、2年前の丁度、4月上旬、桜が満開の頃に東京カンファレンスセンターでのビジネスセミナーに参加した時のこと。仕事から駆けつけて入場手続きを済ませ席につくと、800名の参加者で会場はムンムン。当日の話は、あるビジネス戦略の利用の仕方についての講話。有効かつ効率を重視した内容に、私も回りのビジネスマンもみんな必死でメモをとった。勝間さんのお話は、機関銃を思わせるような矢継ぎ早のトークと吹っ切れた発言で、 ”始終息着く暇はなし!” の1時間半だった。

夜の東京駅界隈
 グラントーキョーの一画はきらびやか!

 8時30分に話し終えてそのまま退席しようとした勝間さんに、司会者が 「では、ここで質疑応答の時間を〜」っと言いかけた時、勝間さんはマイクを手に取り、「ちょっとまって!」っと。「それは事前に聞いていない。どうしてきちんと打ち合わせできないの!」っと大きな声で一言。会場に激震が走った。主催者が出てきて、
あわてて勝間さんに謝るが、勝間さんは「皆さんは忙しい仕事のあとに駆けつけてくれているのに、時間の配慮が全く感じられない。がっかりしました。そして皆さんにお詫びします!」と言って会場を後にした。
 会場の8階の出口では多くの人がエレベーターに押しかけていたので、私は急いで階段を探して降りようとしたら、その時だ。「お疲れ様!」っと声を掛けられた。振り返ると勝間さん!「階段で行きましょう」っと言われて一緒に階段を下り一階出口へ。最後に「じゃ、また!」と爽やかに去っていった。たったそれだけ、時間にすると3分ぐらいだろうか。
 155センチの小柄な勝間さんは、予想以上に講話では時間を気にかけ、時計を見ながらの講演だった。サイボーグ的な印象で、一切が効率的でと、それまでのイメージが吹き飛んだ勝間さんとの出会い。人の時間を平気で食いつぶさない配慮が感じられ、さわやかな一瞬だった。

夜桜通り
  東京駅近くの小さな商店街通りは、夜桜のトンネルと化していた。

 今回、働く女性の背中を押す企画を書きおろすにあたり、今まで以上に働く女性の声を聞く取材もし、本でリサーチも沢山行った。昨今の保育園問題でも、いまだ女性の働く環境は簡単なものではないな、っと思う。それでも少数の成功している女性経営者のお話などは、信じられないくらいのバイタリティでもって、まさに死ぬほど頑張っている様子、聞いてるこちらの胸が締め付けられる感じがした。でも彼女たちは皆それぞれに輝いていた。それを書きおろして行く内、目的を持って働く女性にはひたすら、愛おしさを感じるようになった。就活で疲れて電車に乗っている人などにも、思わず、「頑張って!」っと言ってあげたいなんて、気持ちにもなったのだ。

 勝間さんに会ったセミナーの日も桜が満開の季節だったと、このあいだ同じ場所で撮った写真を見て思い出し、つれづれに
エピソードを書いてみた。今年最後の桜を想いながら・・・。

最先端のアップルショップはディスプレイも凄い。アップルショップ


 

Bravo! 女性の節目。


夫婦
「あきらめたら、そこで試合終了です。」
                                                               スラムダンク・安西先生の言葉より


 来月3月が訪れると結婚31年目になる。昨年、結婚30年の真珠婚をささやかに祝うため、このブログを始めた。女の一生は、良いも悪いもドラマティックな出来事が本当に多いなと常々思っていた。そのあたりを私的エピソードを交え綴ってみたかったというのが本当のところ。30年過ぎて思うことは、何もかもとまでは言わないが「様々な事柄」が30年という時間の経過の中では、それなりに「片付いていく」もんだなと感じている。3月に息子が家を出て自立し、主人の両親も住み慣れた家を出て「終の棲家」に移ったのが4月。私の母の介護のために私達も引っ越した9月。そして先週2月3日に母を看取った。たった1年で自分の身近な人達が動いて行った。人生の節目というか何だか時の符合のすごさに圧倒されている。

真珠婚式

 私の中で結婚30年目の節目はすべて「家族」がキーワードだった。多分私だけではないだろう。大方の人がそうではないか?子育て、親の介護、その他様々な関係がきれいにとは行ないまでも収束していくように思われてしょうがない。まあ人生だもの、お祝いばかりではなく辛い別れなどもあって当然。そんな別れが身近に訪れた時にどう乗り越えるか?昨年年頭に決めたことは、どんな大変なことでも「味わって、噛み締めて生きよう!」というスローガンのような目標を立てて1年を乗り切ってきたつもりだ。これからも、どんな事にあってしまっても前向きに腐らず、日々を送っていきたいものである。

足跡真珠


 よく友達との話題に、「100歳まで生きられるとしたら何がしたい?」とか「今までで一番楽しかったのは何歳の時?もし戻れるとしたら何歳?」 なんて話しで盛り上がることが結構ある。実際私は百歳まで生きたくないなあ・・・と、とっさに思ってしまった。別段意味はないのだが。まあ、あと戻れるのなら27〜28歳ぐらいがいいな、と思うのだ(笑)。これも特に意味はない。

人生道

 気がついたらこうして文章を書くことで、苦楽も雑念もつかの間だがスウーっと消えている。これから当分の間、センチメンタルな感情との戦いだが、私は「感傷」からは、何も生まれないと思っているんで、今までどうりしぶとく、我慢強く生きていこうと考えている。慎ましくもすっきりと生きた自慢の母だった。そんな母を見習い、つらい気持ちはお腹の底にしまって、それを自分の生きる力に変えて行こう。
ブラボー!な女の節目でありたい。

                       節目

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